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【生後9か月で健康だった赤ちゃんが1日でお空へ帰った話:脳腫瘍(退形成性上衣腫)】⑦

2021/07/22

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こんにちは coletです。

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この話は、第一子である長男を生後9か月で亡くした話です。
出生時は全く問題なく、また成長も問題ない、成長曲線ど真ん中の子でした。
闘病などしておらず、入院したその日の夜に病名が判明し、たった一日で、旅立ってしまった悲しい話です。
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前回の話はこちら

7/6(月)

もうこの日は…正直、精神状態はめちゃくちゃでした。
大きな病院にいるから、何があっても安心って思ってたけど、
「乳児の脳手術ができる医師がいないので、山形市の病院へすぐにでも行きましょう」
それは、もう仕方がないことだとは思うのですが、不安。

でも逆に言うと、この病院から車で1時間ほどかかるが、手術をしたら大丈夫ってことだよね?
と頭の中はぐちゃぐちゃ。

とりあえず、夫を呼ぶ。水頭症って状態であること。脳腫瘍があることは伝えられたけど、
今がどういう状態なのかはうまく説明できなかった。

夫が病院に到着して、先生の説明を聞いたりしました。
病院内はバタバタしている感じ。

乳児だからか、呼吸器といっても、手動でシュポシュポ空気を口から送っている感じ。
見た感じは息子は目をつむって寝ているのと変わらない。
痙攣とかもなくて、ただただ静か。

一瞬の出来事で、なんかもう色々信じられなくて、横で泣くしかなかった。
お母さんだからしっかりしなきゃ、とも思って、泣いては拭い、の繰り返し。

先生の言い方からして、命を落とすことはないだろう、と本気で思っていた。

ーーー
後日、先生にお会いできた機会があって。
私が「正直、先生の話を聞いて、亡くなるまでとは思わなかったんです。もっともっと触れたら良かった、とかちょっと思ってしまいました…」といったことがあるのですが、
先生は「あの時は、〇〇君が元気になって帰ってきてくれると信じていました。あとは…ご主人は救急車に乗れないので(私が乗るから)、
1時間ほどの運転をしなくてはならないので、どうか安全運転をしてほしい気持ちもありました。でも、後悔をさせてしまうような伝え方をしてしまって、申し訳ないです」
とおっしゃってくれました。
先生のいう事もすごく分かります。
ーーー

先生が「すぐにでも行きましょう」って言ってたし、すぐ救急車に乗って行けるものだと思った。

でも…結果として出発したのは夜中の2時だった。
22時に痙攣して…2時。
だからこそ、そこまで緊急性がないのか?とも思いました。
救急車に乗るまでの時間は、本当に、本当に長く感じました。

ーーー
置賜地域で、ちょうどコロナ感染者が出た時期で、
私たちも行動歴とかを何度も確かめられたりしていました。
ほぼ初めて置賜地域でコロナ感染者が出た、という時期だったので、
全然ルールとかなかったんだと思います。
後日、先生が「あの日はあまりにも対応が遅かったので、改善するように病院には伝えたんですよね」って言っていたので、
遅れたのは、コロナのせいだったんだな…と思いました。
それにしても、時間がかかりすぎて、自発呼吸できない赤ちゃんがいるのに、
こんなに待たされるのかと絶望しました。

あとは、この日は日曜日(実際には月曜日)の夜中なので、先生の確保に時間がかかったともおっしゃっていました。
手術には、脳外科、麻酔科、小児科の先生が必要と聞かされていました。
ーーー

ようやく「受け入れ先が決まりました」って言われたときも
すぐすぐ救急車はありませんでした。
病院とは違う所にいるみたいで。
看護師さんが「ちゃんと呼んだよね?」とか言ってたりして。不安不安不安。

夫は病院が決まったので、救急車には乗れないから自家用車ですぐ出発したのですが、救急車が来たのは、夫が出発してから30分後でした。
この辺も私としては今もなお納得がいかないです…。
大きな病院には救急車って待機していないのかなぁ…。
ここでは手術できないのに、なんで救急車前提で準備してくれてないのかなぁ…とか
正直今でもモヤモヤは残っています…。
結局夫の方が40分くらい早く、受け入れ先の病院に着きました。

救急車に乗ったのは初めてでした。(私が乳児の時に乗ったことはあるみたいですが)
息子は担架に乗せられているのですが、まだまだ小さい。
先生、看護師さん、私の順で乗り込むのですが、小さいから私の席からは息子は触れられません。
1時間救急車に乗っていましたが、息子に触れることはできませんでした。
先生は手動の呼吸器をずっとシュポシュポしているので、代わることはできませんし、
看護師さんはきっとフォローとかするんだろうから、私は邪魔にならないように…と思っていました。

私は山形市の土地勘もなく、その病院がどこにあるのかも分からないし、
救急車の中はカーテンがあるので、どこを走っているのかもわからず、
本当に長く感じました…。
なんか色々こみ上げてきて、泣いてしまいましたが、看護師さんが「大丈夫ですよ」って言ってくれたので、
意外と大丈夫なのかなぁ…って思っていました。

今思うと、私は本当にバカだと思います。
でも、看護師さんとかお医者さんのいう事を信じるしか当時は出来なかったんですよね。
安心できる言葉に甘えてたんだと思います。

ようやく、山形市の病院につくと、防護服を着た人たちが待っていました。
息子は運ばれ、私は別室にいくと、夫がいました。
それから1時間くらい経ってようやくこの病院の先生が来て、色々と説明をしてくれました。

ーーー
この日のことは、数回に分けて書こうと思います。

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